2003/08/31 
平成15年8月25日〜31日の活動(赤羽議員と企業訪問・チャレンジドのための政策学習・有馬町70件訪問・世界のおもちゃ展開幕・党県本部政策要望懇談会等出席)

 暑さの厳しい毎日であったが、今夏はとにかく徹底して党勢拡大に向けてのあいさつ訪問をさせていただいた。多くの方々に直接お会いしご意見やご要望等を承った。また、党の実績やマニフェスト等についても積極的に語らせていただいた。

 25日(月)、午前10時過ぎから赤羽衆議院議員とともに企業等を12件あいさつ訪問する。県トラック協会の企業数社からこのたびのディーゼルエンジン使用の車両規制についての深刻な要望を承った。
 午後3時から、地元唐櫃台等を28件訪問。夜、19時より政治学習会に出席、その後、夜、21時より拡大対策会議に出席する。
 26日(火)10時〜有馬温泉兵衛向陽閣にてプロップステーション代表の竹中ナミさん主催による「チャレンジドのための政策:障害を持つアメリカ人法(ADA)から学べること」と題しての勉強会に県下の女性議員の代表とともに参加させていただいた。勉強会にはジョン・ケンプ氏、アイリーン・ザイツアー女史、ジェニファー・ザイツアー女史、及び与党ユニバーサル社会形成推進プロジェクトの座長を務めていらっしゃる野田聖子衆議院議員が出席された。
 
 参加者による自己紹介の後、ジョンさん、アイリーンさん、ジェニファーさんのお話を聞かせていただいた。最後に数点の質問に答えていただき懇談的な勉強会を終了した。ジョンさん等の主なお話内容は下記のとおりである。
(お話内容)

 ジョンさん等のお話によると、先ず、日本に到着するやいなや、いたるところにバリアがあることを実感されたとのことである。東京駅に階段が多いため、スクーターをかついで降りるしかなかったし、新幹線の乗車について、「電動車椅子の持ち込みはよいが電動スクーターは持ち込み不可であること」など、神戸までお越しくださるのに大変に苦労されたとのことであった。
 
 ジョンさんは、両肱、両ひざがない状態で生まれ、最愛の母親もジョンさんが小さい頃お亡くなりになり、お父様一人が3人のお子さんを育てて下さったという。子どもや大人から冷たいしうちを受けたこともあった。(かわいそうですねというのも冷たい感じがするんですといわれていた)
 父親はこんな私をいつも励ましてくれた。普通の学校に入れたいとの思いで交渉してくれたし、サマースクールや放課後、子どもたちとよく遊んだ、そのことが自分の大きな転機となった。
 父は「人以上に努力してついていけ」と言ってくれた。そして今、私は53歳になったが弁護士で、あるNPOの社長も務めさせていただいている。
 ADA法ができて「スロープをつけて」と発言できるようになった。
 障害を持っているということは特別なことではなく、ごく自然なことである。アメリカでは人口の約20%のかたが何らかの障害を持っている。この方々が、市民として貢献し、タックスも支払い生活をしていくことはごく自然なことである。チャレンジドに才能があればどこへもいけるし、チャンスを作ることもできる。これは当たり前のことである。

 神戸は空港を作るように聞いていますが、この交通機関はチャレンジド用にするのではなく、誰にでも使えるようなユニバーサルデザイン仕様にすべきであると思います。一つのものでユニバーサルが使えるようにすべきです。
 ADA法とは1つに雇用について、2つに公共施設の在り様について、3つ目に情報通信について、4つ目に公共サービス等について規定されています。
 1について、もちろん障害を持っている人の雇用について差別してはならないとしています。
 2についても、社内での雇用者の通勤しやすい環境を整えることになっています。3については電話回線のみならず、聴覚障害のためのその人専用のオペレーターがついて文字を入力します。等々

(質問)
 ADA法が出来た背景について教えてください
(答え)
 障害を持っている親が中心になってひいては議会を動かすまでになって行った。
 子どもたちの教育は平等でなければならない。法律にはそのように書いてある。また、ベトナム戦争で帰ってきた人の中にチャレンジドになった人もいたし、黒人問題や女性の権利の問題なども起こった経緯もあり平等というのは当たり前というレールが引かれていた。
 1984年障害を持っている方々の実態調査が行われ、1988年、議会に提出した。
 また、フォーラムや会議等を開催し力をつけ政治家等も巻き込んで取り組んでいった。

(質問)
 チャレンジドの定義について
(答え)
 アメリカでも知的、肢体、精神に別れていますが、チャレンジドとは普通の人より劣るということで障害者手帳などはありません。自己申告です。
 
(質問)
 障害を持った子供たちは普通学級で学ぶのですか
(答え)
 小学校から高校まで基本的に一緒に学びます。いい意味で耳が聞こえにくい子どもは別のスクールに行きます。
(質問) 
 ボランティアについて、かえって助ける人、助けられる人というように人に優劣をつけるようになるとの示唆があったがどう思われるか
(答え)
 例えば子どもが老人ホームへ行って遊ぶ、子どもにとっても親、老人にとっても相乗効果を上げることができいいことだと思う。

 最後に竹中ナミ代表の方からご自身の体験を通じて、「私には重度の障害を持った子どもがいる。親がなくなった後のことが気に係る。だが、子どもは宝である。普通の存在として守ってほしい。人間としての価値や尊厳があることを忘れないでほしい。」との身につまされるような含蓄のあるお言葉を頂いた。
 
 今回、勉強会に参加し、大変に勉強になった。チャレンジドが活躍できるような法整備を整えること、また、チャレンジドも健常者もごく自然に日常生活がおくれるような環境整備を図ること、更に根底的には教育の概念・・すべての人は生まれながらにして平等である権利を有していることなど小さな生命の間に植え付けていくことなどが求められると痛感した。

 今後、竹中ナミ代表をはじめチャレンジドの真実の思いを具現化できるように党浜四津代行とともに女性議員一同積極的に働きかけてまいりたい決意を新たにさせていただいた。

 午後1時過ぎから坂道の多い有馬温泉街の支持者宅を党員のTさん、Mさんとともに31件訪問、雨が降ったり止んだりする中で懸命に回ってくださり感謝に絶えない。

 27日(水)、午前10時〜企業訪問。13時〜17時まで有馬町を党員のHさん、Wさん、Hさんとともに35件訪問。暑い中、ご案内いただき本当にありがたいことである。

 28日(木)、午前11時からお世話になった党員のKさんのご葬儀に参列させていただく。 午後1時から党控え室にて党務、市民相談等の処理に奔走する。

 29日(金)、午前10時〜北区役所すずらんホールにておもちゃ展神戸北展が開幕した。世界からおもちゃ1000点がすずらんホールに展示されることとなった。
 オープニングでは主催者を代表し塩田光雄実行委員長からのあいさつに続き、神戸市助役の梶本日出夫助役より歓迎のあいさつがあり、テープカットが行われた。オープニングセレモニーには北区の名士等約100名の方がお越しいただき盛大に開催された。
 昼、鈴蘭台駅周辺13件訪問した後、15時過ぎからホテルゴーフルリッツにて県の各種団体を迎えての政策要望懇談会が行われた。県トラック協会や行政書士会、私学協会等8団体から具体的な要望を頂いた。この日に出席した団体は約40団体でそれぞれ要望項目を兵庫県本部に寄せられていた。政策要望懇談会には冬柴党幹事長、赤松県代表、赤羽かずよし衆議院議員が対応した。
 夜、赤塚恵一市議の通夜式に参列し、赤塚さんにお別れのあいさつをさせていただいた。「赤塚さんほど、誠実で、まじめで、親切な人はいませんでした。本当にお世話になり、誠にありがとうございました。赤塚さんの大衆とともに戦った荘厳な死を決して無駄にすることなく、全力で取り組んでまいることをお誓い申し上げます。」

 通夜式には約1300余名の方が弔問してくださった。

30日(土)、午前10時〜赤塚恵一市議の告別式の準備にあたる。奥様、次男さんに丁重にご弔慰申し上げる。
 赤塚さんは、8月15日、終戦記念日の街頭活動を兵庫区で行った後、お母様の郷里である三重県へ全国交流に出かけられ、ご親類の方々に公明党への支持拡大を訴えられ、宿泊先の国民宿舎にて17日の早朝、意識不明となり救急で入院されたとのことであった。
 私が、赤塚さんと最後に出会ったのは、13日の拡大対策会議の場であった。後姿であったが、いつもながらまじめな赤塚さんの勇士が思い起こされる。
 また、私が神戸の機関紙推進委員長であることから、赤塚さんは三重県に交流にいかれる前日の15日にFAXにて芦田宛に兵庫区の機関紙成果報告を送信して下さっていた。誠に、責任感が強く、几帳面な方であった。
 市議に当選し1期4年余り、百数十回の街頭活動と実績チラシを作成し、懸命に党勢拡大のために頑張ってくださった赤塚議員だった。
 4年前の雪辱を果たすため絶対に共産党に負けてなるものかと壮絶な戦いをしてくださった赤塚さん。
 公明党ホームページを立ち上げてくださった赤塚議員。
 人を見下したり、自慢をしたりすることなく、ただ真剣に公務、党務に取り組んでいらっしゃった赤塚議員。

 17日から28日までの間、三重県の回生病院にて奥様やご子息様、またご親類や病院関係者の皆様の懸命なる看護、看病を受けられた後、残念ながら28日、午前3時34分、帰らぬ人となってしまいました。

 赤塚さんのこのたびの訃報は本当に残念無念でなりませんが、赤塚さんに教えていただいたことの数々を貴重な財産として私なりに活かしていきたいと思っています。

 午前11時30分より盛大かつ厳かに告別式が行われた。後援会をはじめ議会、行政関係者等約1000名の方々がご弔問くださった。13時、党市議団の男性議員に担がれ霊柩車に運ばれ最後のお別れとなった。

 午後から、市民相談や支持者の方々のお見舞い等に出かけた。

 31日(日)、午前10時〜北区道場町生野高原住宅の支持者宅を党員のKさんとともに15件訪問する。8割の方にお会いでき、平素のお礼を述べさせていただくことが出来た。水道料金の高い問題についての要望を聞かせていただいた。
 午後から、マニフェスト等政策の勉強をする。